名古屋高等裁判所金沢支部 昭和39年(ネ)37号 判決 1966年3月23日
控訴人 丸栄商事株式会社
被控訴人 金沢信用金庫
主文
本件控訴を棄却する。
控訴審の訴訟費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴人訴訟代理人は、「原判決を取消す。被控訴人は控訴人に対して金五十万円、およびこれに対する昭和三十七年十一月一日から完済に至るまで年六分の割合による金員の支払いをせよ。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決、および保証を条件とする仮執行の宣言を求め、被控訴人訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
当事者双方の事実上、法律上の主張、および証拠関係は、次に記載するほかは原判決記載のとおり(但し、原判決の三枚目表前から三行目に「同(二)、(三)の各事実は認める。」とあるのを、「同(二)の事実は認める。」と訂正する。)であるから、これを引用する。
控訴人訴訟代理人は、「(一)、債権者、債務者間の債権譲渡禁止の特約は、債権者による任意譲渡を妨げる効力を有するに過ぎないものであり、転付命令による強制譲渡については、執行債権者が譲渡禁止の特約のあることを知つていても、譲渡を妨げる効力を有しないと解すべきである。(二)、昭和三十六年九月二十日、被控訴人と加越炉材産業株式会社(以下単に「加越炉材」という)の間に、被控訴人主張のような相殺契約が成立したということはない。同日、被控訴人の従業員神谷清治、同藤井良之助と浅田勝己、加越炉材代表者加藤光男らが会合したことはあるが、右会合においては、浅田鉄工株式会社に対する加越炉材の手形債務関係の決済について話合いがあつたに過ぎないものであり、被控訴人が主張するような相殺の合意が成立したことはない。」と述べた。<立証省略>
被控訴人訴訟代理人は、「(一)、昭和三十六年九月二十日、被控訴人の営業部長藤井良之助、同部次長神谷清次の両名が、浅田鉄工株式会社社長浅田勝己外一名同席のうえ、加越炉材社長加藤光男と面接し、被控訴人が加越炉材に対して別紙<省略>相殺一覧表の自働債権欄記載の各手形の割引をしたことに因る貸金債権(もしくは右各割引手形の買戻請求権)と同表の受働債権欄記載の加越炉材の被控訴人に対する定期預金、定期積金債権とを相殺することを申入れ、加藤の承諾を得たのである。(二)、右のように昭和三十六年九月二十日に被控訴人、加越炉材間に相殺契約が成立したのであるから、同日現在で相殺に供する自働、受働各債権額を計算すべきところ、従来、同月二十五日現在の債権額による相殺を主張したのは、被控訴人の担当係員の計算上の誤りに因るものであるからこれを改める。そして、昭和三十六年九月二十日現在で計算すると、自働、受働債権額ともに同年九月二十五日現在の計算額よりも減少するが、自働債権額の減少額が受働債権の減少額よりも六百三十六円多く、したがつて相殺後の被控訴人の加越炉材に対する債権残額は、従来の計算額よりも六百三十六円減少することになるので、右金額は加越炉材に返還すべきものとなる。」と述べた。<立証省略>
理由
加越炉材が被控訴人に対して、原判決添附の預金債権目録記載のとおり(但し、定期積金の満期の点を除く)の定期預金、および定期積金の各債権(以下一括して「本件預金債権」という)を有していたこと、債権者控訴人、債務者加越炉材間の金沢地方裁判所昭和三六年(ル)第四六号、(ヲ)第九四号事件について、昭和三十六年九月二十五日、本件預金債権の差押および転付命令があり、右各命令が同月二十六日午前十時二十一分に被控訴人に送達されたことは、当事者間に争いがない。
(一)、被控訴人は、本件預金債権については被控訴人、加越炉材間において譲渡禁止の特約があり、控訴人は右差押、および転付命令申請当時、右特約のあることを知つていたのであるから、控訴人は右転付命令によつても本件預金債権を取得できなかつたものであると主張するので、この点について考える。
民法第四百六十六条第二項は、当事者の便益を保護し、原債権者以外の者に債権者の地位を承継させないようにしようとする当事者間の特約に効力を認めたものであるから、第三者が悪意である以上、原債権者の任意譲渡の場合に限らず、強制譲渡である転付命令の場合においても、当事者の意思は保護されるべきであるという理由で、執行債権者が転付命令申請の際に譲渡禁止の特約の存在を知つていた場合には、転付債権を取得しないというのが従来の判例である(大審院大正三年(オ)第三号、同四年四月一日判決、大審院大正十四年(オ)第六五号、同年四月三十日判決、大審院昭和六年(オ)第七八二号同年八月七日判決、大審院昭和八年(オ)第六五六号、同九年三月二十九日判決)が、右判例の見解も、譲渡禁止の特約のあることを知つている者でも、その債権を差押え、取立命令を得て取立てることは容認する趣旨であると解される(もし、取立命令による取立をも認めない、即ち差押えの可能性自体を否定するものであるとすれば、私人が任意にその責任財産の範囲を限定することを認めることとなり、執行債権者を害すること甚しいものであつて、その不当なことは明らかである)のであり、そうであるとすると、(イ)、本来転付命令が発せられるのは、金額が確定していて債権者(執行債務者)が無条件に債務者(第三債務者)にその支払いを請求できる金銭債権(抗弁権の附着していない金銭債権)に限られるのであるから、債務者(第三債務者)がなすべき債務の履行行為は、金銭の支払いという履行受領者が何人であるかによつて履行の態容に変化を生ずることのないものであること、(ロ)、取立命令による場合であつても、債務者(第三債務者)は原債権者(執行債務者)に対して金銭の支払いをすることはできず、執行債権者が直接金銭の支払いを受けられるという点においては、転付命令による場合と差異がないこと、(ハ)、取立命令の場合は差押後に生じた債務者(第三債務者)の原債権者(執行債務者)に対する人的抗弁をもつて執行債権者に対抗できるのに対して、転付命令の場合は転付後に生じた債務者(第三債務者)の原債権者(執行債務者)に対する人的抗弁は執行債権者に対して対抗し得ないという理論上の差異はあるが、本来転付命令を発し得る債権の種類が前記(イ)のとおり制限されており、かつ差押命令によつて原債権者(執行債務者)、債務者(第三債務者)による債権の処分が禁止されているのであるから、実際上は転付命令が発せられたために、取立命令の発せられた場合に比べて債務者(第三債務者)が実質的に不利益を蒙るということは殆んどないと考えられることなどを考え合わせると、譲渡禁止の特約あることを知つている執行債権者は該債権の転付を受けられないとすることによつて債務者(第三債務者)が受ける利益は、現実の金銭の支払いが原債権者(執行債務者)以外の者に対してなされても、法律上原債権者(執行債務者)に対する弁済となるという全く名目上のものに過ぎないのに対して、(ニ)、民法第四百六十六条第二項は本来債権の任意譲渡に関するものであつて、債権の移転全部について規定したものではないと考えられること、もしそうでないとすると、民法第五百条による債権の移転も受けられないという不当な結果を生ずること、(ホ)、民事訴訟法第六百条第一項が取立命令と転付命令の選択を執行債権者に任かせており、しかも執行債権者にとつては、そのいずれを得るかによつて排他的弁済を受けられるか、平等弁済を受けられるに過ぎないかという実質的に重大な差異があること、などを考えると、前記判例の見解は、名目的利益を有するに過ぎない当事者の意思を尊重し過ぎるものであつて、賛同できないのであり、転付命令による場合には、執行債権者が譲渡禁止の特約があることを知つている場合においても、該債権を取得すると解するのが相当であるから、被控訴人の前記の主張は採用できない。
(二)、次に、本件預金債権は昭和三十六年九月二十日に、被控訴人と加越炉材間に成立した合意による相殺によつて消滅した、という被控訴人の抗弁について判断する。
原審、および当審における証人神谷清治(原審は第一、二回)、同藤井良之助の各証言、および右各証人の証言によつていずれも真正に作成されたと認められる乙第一号証、同第二号証の一、二、同第四号証の一、二、ならびに原審、および当審における証人加藤光男(原審は第一、二回)の証言、および右証人の証言によつて真正に作成されたと認められる乙第三号証、ならびに原審における証人浅田勝己の証言を合わせて考えると、次の事実が認められる。
(1)、昭和三十四年八月五日、加越炉材は被控訴人と、(イ)、割引金元本極度額を二百万円、(ロ)、割引料は被控訴人の定める利率によつて割引の都度支払う、(ハ)、割引手形の支払人が、手形の引受または支払いを拒絶したとき、あるいは期日前に支払停止をする等の場合には、被控訴人の請求によつて、加越炉材は割引手形の手形金額、ならびに遅延損害金等を速に償還する、(ニ)、加越炉材、もしくは保証人、または割引手形の支払人に、被控訴人の手形割引に関する債権を侵害すべき状態があると被控訴人が認めたときには、期限にかかわらず債務の全額について返済を請求されても異議はなく、右の場合、加越炉材または保証人が被控訴人に対して有する預金債権等は期限の如何に拘らず、何等の通知を要しないで任意相殺されても異議はない、等の定めを含む商業手形割引約定を結び、右約定に基いて被控訴人に手形割引をしてもらつていたものであり、昭和三十六年九月二十日当時、被控訴人は別紙相殺一覧表の自働債権欄記載のとおり、同年六月二十三日から同年八月二日までの間に加越炉材に対して割引きをした六通、手形金額合計百二十一万二千五百円の手形を所持していた。(2) 、ところで、同年九月十一日頃、加越炉材振出しの金額二十五万円余の約束手形が不渡りとなつたのを始めとして、加越炉材振出しの約束手形の不渡りが引続いて起きたので、被控訴人が加越炉材の営業状態を調査したところ、営業不振に陥つていることが判つたので、被控訴人は加越炉材との取引を止め、債権、債務を清算することとし、担当係員が加越炉材の代表者加藤光男との面会を求めたが、同月十三日頃から加藤の所在がわからなかつた。(3) 、ところが、同月二十日、加藤が被控訴人の本店に出頭したので、被控訴人の代理人である営業部長藤井良之助、同部次長神谷清次が、当時被控訴人が所持していた前記の加越炉材に対して割引きをした約束手形六通の買戻しを求め、かつ右買戻請求権と本件預金債権とを対等額で相殺することを申入れるとともに、右相殺により加越炉材が買戻したことになる約束手形もなお被控訴人が所持し、これをその満期に呈示して支払いがあつた場合には、その支払金をもつて、被控訴人の加越炉材に対する残債権の弁済に充てることを申入れ加藤光男が右各申入れを承諾した。
右のように認められるのであり、原審、および当審における証人加藤光男(原審は第一、二回)の証言のうち、右認定に反する部分は、前掲記の他の証人の証言のうちの右認定にそう部分に照らして考えるとたやすく信用できず、また、真正に作成されたことに争いのない乙第三号証の一、二、および本件弁論の経過によると、被控訴人は昭和四十一年二月十一日午前十時の当審第七回口頭弁論期日において、その主張の変更をするに至るまで、昭和三十六年九月二十五日現在における本件預金債権額と前記六通の割引手形の買戻請求権額とを対等額で相殺したものとして、被控訴人と加越炉材の債権債務の決済の計算をしていたことが認められるが、原審、および当審における証人藤井良之助、同神谷清治の各証言、ならびに弁論の全趣旨によると、被控訴人が右のような決済の計算をしたのは、昭和三十六年九月二十日、右藤井、神谷が加越炉材代表者加藤光男に対して、本件預金の証言を直に被控訴人に提出することを求め、加藤がこれを承諾したにも拘らず、右証書が提出されなかつたこと、および被控訴人の担当係員が、民法第五百六条第二項が合意による相殺についても特段の約定がない限り類推適用されるべきことを看過したことに因るものと認められるから、被控訴人が従来右のような決済の計算をしていたということをもつて、前記認定を覆すに足りず、他に前記認定を妨げるに足りる証拠はない。
そして、いずれも真正に作成されたことに争いのない甲第九号証の一ないし七、および前掲記の乙第二号証の二、ならびに弁論の全趣旨を合わせて考えると、前記認定の相殺契約が成立した昭和三十六年九月二十日現在の、相殺の自働債権とされた六通の割引手形の各買戻請求権の金額、相殺の受働債権とされた本件預金債権の各金額は、それぞれ別紙相殺一覧表記載のとおりであつたと認められるので、加越炉材が被控訴人に対して有していた本件預金債権は、前記認定の相殺契約によつて全額消滅したものといわなければならない。
(三)、控訴人は、被控訴人が主張する相殺の自働債権は手形割引に伴うものであるから、該手形を相手方に交付しなければ相殺の効果を生じ得ないと主張するが、割引手形の買戻請求権は手形上の権利ではなく、手形債権の売買という手形の譲渡の実質関係に基因する手形外の権利であるから、割引いた手形の交付はその権利行使の要件ではなく、ただ買戻代金の支払い、あるいは相殺と手形の交付とが同時履行の関係にあると解するのが相当であるが、前記認定のとおり、加越炉材は相殺により買戻したことになる割引手形を被控訴人が満期まで所持し、その支払いがあつたときには、その手形金をもつて加越炉材の被控訴人に対する残債務の弁済に充てることを承諾した。すなわち、買戻しについて買戻手形の交付を求める同時履行の抗弁権を放棄したことが認められるのであるから、控訴人の右主張は採用できない。
(四)、控訴人は、被控訴人の相殺の意思表示は本件転付命令が被控訴人に送達された後に加越炉材に到達したのであるから、被控訴人の相殺は効力を生じ得ないものであると主張するが、被控訴人と加越炉材間の相殺は、被控訴人の単独行為として行われたものではなく、前記認定のとおり昭和三十六年九月二十日に被控訴人と加越炉材間に成立した相殺契約に因るものであるから、右の合意のほかに被控訴人があらためて相殺の意思表示をすることを要するものでなく、被控訴人が昭和三十六年九月二十七日午前十時十五分到達の書面で加越炉材に対してなした相殺の通知は、法律上不要のことをなしたに過ぎないから、控訴人の右主張も採用できない。
してみると、その余の点について判断するまでもなく、控訴人が本件転付命令によつて取得したと主張する本件預金債権は、本件転付命令が被控訴人に送達される以前に全部消滅していたものであり、本件転付命令は実体上の効果を生じ得なかつたものといわなければならないから、控訴人の請求は理由がない。
よつて、控訴人の請求を棄却した原判決は、その理由は不当であるが、結局正当であるから、民事訴訟法第三百八十四条により本件控訴を棄却することとし、訴訟費用の負担については同法第九十五条、第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西川力一 広瀬友信 寺井忠)